思いは言葉に。

感情のゴミ捨て場

思い出しても仕方がないこと


大雪の日は耳が痛くなる

多分気圧の関係だろうけど、精神科に通うようになって年々気圧に弱くなっている気がする

耳の痛みと吐き気がひどい


こういう日は子供の頃にあった悲しいことばかり思い出してしまう

気圧のせいだから仕方ないと言い聞かせても具合は悪いし涙は出てくる


大人になってから起こった理不尽な事や悲しい出来事は大体自分の中で消化して寝て起きたら忘れられている事が多い

幼少期の頃のことはいつまで経っても消化できず調子の悪い時に思い出してしまうのはどうしてなのだろう?


もっと上手く言葉にできていたら、今みたいに対処の方法がわかっていたら少しは違ったのだろうか?そんな考えても仕方がないことばかりが頭に浮かんでくる


調子の悪い日は出来るだけ考えるのを休んで、涙が止まらなかったら眠剤を飲んで寝てしまうのが1番いい


自暴自棄になったり人に迷惑をかけるよりはマシだと言い聞かせて、寝逃げによってここ半年はODも自傷行為もせずに済んでいる


いつまでも子供じゃないし歳だけで見ればもういい大人なので、ずっと泣いてるわけにはいかない


楽しい出来事はわざわざ人に話さなくても満足できるのに、悲しい事はどこかに吐き出さないと徐々にしんどくなるの不思議だな


小5の冬、耳が痛いという私を連れて母が知り合いの家にお米を貰いに行った時があった

私は5キロのお米を抱えて母と友達の家に遊びに行った妹を徒歩で迎えにいった

耳が痛いことを伝えると母は気のせいだと言った

母も子育てに疲れていたのだと思う

私がたまに変なことを言うと気のせい、とか思い込みだと言われることがあったのでその日もその様に言われたのを覚えている

私は耳が痛くて早く家に帰りたかった

小学5年生だったので1人で家に帰ることはできた

でももう少しだから待ってと言われ、妹を迎えに行った先の玄関で親たちの話が終わるのを待っていた

私は鈍臭い子供だったから紙袋の口が開いているのに気付かずにお米の袋を持ち直そうとした

当たり前にお米はその家の玄関にぶちまけられて私は怒られた

母はかなり怒っていて怒鳴られたと思うけど耳が痛すぎてあまり聴き取れなかった

その日は部屋から出てくるなと言われて次の日まで部屋から出なかった

見たいドラマがあったけれど耳が痛くてすぐ寝たと思う


たまにこんな事を思い出しては涙が出てきてしまう

母も年々丸くなり昔とは少し違うので今更こんな事を言ったところで何にもならない

だからわざわざ話したりはしないけれど、私だけがずっとその場に取り残されている様なそんな気持ちになる


気圧をどうにかする事はできないし、もう調子の悪い時があるのは仕方がない事だと思っているけれどこれからの仕事や生活のことを考えてしまい不安になった


寝て起きたら気持ちが切り替えられているといいな